「自分らしさ」について

あるワークショップにて。
休み時間に、
「質問したいことがいろいろあるんだけど、できない」と言う人がいた。
「細かいことをいろいろ聞きたいんだけど、まとまらない」のだそうだ。

でも、何を聞きたいのか、その雑談の中では、はっきり話していた。
「それをそのまま言ったんじゃダメなの?」と聞いたら、
「こんな細切れな質問じゃ、ダメなんだ」という。

遠慮してんのかな、とはじめは思ったが、
その人はどうも「自分が細かい質問を整理できないのが、悪い」
と強く思っていて、そういう質問を相手にすることは「失礼だ」と思うらしい。

でも、ここは学ぶ場なんだから。
こちらは知らないことを前提に参加してる。
指導者のほうもそのつもりなんだし。

これが仕事の場で、はっきり分かっておくべきことを理解してなかった、とか
そういうことではない。
聞いても、いいんじゃないかなあ。と私は思ったけど。

結局その人は、質問はできなかった。
そして、「自分は何も分からなかった」という思いを抱いて、
その日のクラスを終えてしまった。
でも、私よりもずっと、内容をよく把握していたのに。

その人にとっては、「分からなかった」んだ。
私とその人では、わかる、わからないの基準が、違うんでしょうね。

さて、
その人の音楽には、そのような考え方の特徴が出てしまうらしい。
自分にきびしい、というか、その
まずありきな「これじゃあダメだ、自分」が
演奏の表面に現れてきて、
「一生懸命やっている」様子が、強くでて
なぜか音が聴こえてこない。
そういう表現になってしまう。

自分では、そういう表現を「したくて」しているのではない。
でも、そういう音を「自分らしい」と感じているのは、
まちがいない。
(そして、また自分を責めてしまう。
 「まだこんな演奏しかできない」)

これは「自分らしさ」が、音楽の邪魔をしている。
と言えるケースだと思う。

「自分らしさ」って、
積極的な、いい意味で使われてることが多い。
とても、大事なものとされている。

「自分らしさ」は、
せっせと作り上げないと、できないものなんだろうか?
そうかな?
自分以外のものには、そもそもなれないよね?
何をやってても、何を変えても、自分でしょ。

「自分らしいなあ」と「思う」
この思っている「自分」は、本当の自分の
どこを見て「自分らしい」と思っているのかな?

つまり「思う」ことで、作り上げていっているのかもしれない。
「自分らしさ」

この自分で思っている「自分らしい」ところが、
正しく「自分」ではないことが多いし、
自分のすべてではない。私はそうだなあ。

でも、その不十分な、自分の思う「自分らしさ」に従って、
自分の行動を決めていく。いろいろな判断をする。

自分が思っている「自分らしさ」が
どんなものなのか。
頼りになるような、正確さがあるのか。
という疑問を、投げかけてみたくなる。

さて
自分では「こんな質問するのはいや」なんだけど、
「今聞かないと、もう質問するチャンスがない」としたら

1、質問する(自分らしくはない行動をとる)
2、質問しない(いつもの自分だ)
3、誰かに聴きに行かせる(ズルイ気がする)
4、誰かが、質問してくれるのを期待する(ないかもね)

結局、どの行動をとっても、
それは自分が決めてやったことなんですよね。

2が「自分らしい」と思えるかな。
(でも、答えは得られない。)
他のは、どんな感覚かな。
1が一番、違和感があるかな。

それは、やってみないとわからないでしょう。

やってみて、
すっごく無理してる感じがするかもしれない。
聞かなきゃ良かった、と思うかもしれない。
思い切って聞いて、良かった、と思うかもしれない。

その感想を産み出してくるのは、
自分の中の、なんでしょう?

「自分らしい、いつもの自分?」

いつもの「自分らしさ」を期待して、
その通りになって、
幸せだったら、そのままでいいと思うんだけど

いちいち反省やら、がっかりやらがあるんだとしたら

その「自分らしさ」
ちょっと変えた方が、いいかも。

特に、音楽でそれは、あまりいいことない。
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by e-t-pf | 2011-03-25 22:52 | ピアノ練習覚え書き  

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