押しても引いても

楽譜では、リズムを数で表現する。
2拍子、3拍子、4拍子⋯、2分音符、4分音符⋯、2連符、3連符⋯

とても分かりやすいシステムではあるけれど、
「リズムは必ず、数で数えられるはず」と思い込んでしまう原因になる。

メトロノームに合わせて、数をいいながら「ずれないように」演奏する。
これをやったことがない人は、少ないのでは。
これはできるようになっておいてもちろんいいし、
できないようではそれはそれで困る。

2拍子系、3拍子系だけではない、それぞれの「味」というか、「抑揚」というか、
ぴったり数では表しきれない感じ、それをどこまで味わって表現できるか。

黒人系の音楽は、2ビート4ビートと言ってても、
絶対シャッフルとかバウンスとかしていて、きっかり2では割れないし、
かといって3で動いているとも言い切れないし、
ヨーロッパの音楽でも、ウィーンナワルツなんか独特の3拍子だし、
フランス系の古い音楽では、付点2分音符が複付点ぐらいになったりする。
逆に、日本人の付点は3連符に近い。

そういうノリを、どうやったら聞き分けられるか。
→そのまんま、聴く。(自分の物差で計らないで、聴く。)

それを、できるようにするには。
→聴こえたまんま、再現してみる。

つまり「真似すること」。
お手本を見つけたら、それを真似する。

でも、「そのまんま」に、なかなかならない。
やっぱり、自分のクセが出る。

そういうのを「自分らしさ」と言いたいかもしれないけど、
勉強には邪魔。

自分は自分以外になるわけないんだから、
「自分らしさ」なんてわざわざ持ちださなくていい。

心を開いて、聴いて、そのまま自分を通して出せるようになりたい。
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# by e-t-pf | 2007-07-16 22:57 | リズム | Trackback | Comments(2)  

Talking Heads

今日テレビで、映画監督の今村昌平さんの番組を見た。
なんか恐そうだから、私は今村昌平さんの作品は見たことがなかった。
この番組で、少し、どんな映画をとっていたのかわかった。
けど、やっぱり見られないなあ。ごめんなさい。

マーティン・スコセッシさんが、すごく影響を受けたんだそうだ。
で、コメンテーターをしてた。ちょっと意外。
「タクシードライバー」とか、この人の映画もちょっと恐そうで、見てない。
たしか、映画で黒人音楽のルーツを取り上げるシリーズで、総監督やってたような。
そっちはみたけど。

それで、昔の作品からいろいろ名場面とかやっていて、
「人間蒸発」というドキュメンタリーのラストシーン。
畳の部屋で出演者たち(ドキュメンタリーだから、俳優でない素人もいる)
が監督、スタッフとともに話していると、
監督の言葉とともにセットが解体され始める。

びっくり。

トーキングヘッズの「ストップ・メイキング・センス」の
はじめと終わりのアイディアって、もしかしてこれ?!
デイヴィッド・バーンもこの映画みてたのかな。
あり得ないことではないと思う。

すごいのは、パクリとは思えないところ。
「人間蒸発」のほうも、単なる演出とか目くらましとか、
そんなちゃちな考えではないことがよく分かるタイミングと方法だし、
「ストップ」の方では、終わり方こそ「人間蒸発」に似てるけど、
始まり方はもう、すごいインパクトと説得力で、こちらも小賢しい演出ではない。

どちらもすごい才能なんだと思う。

日本の歌手の人が、「ストップ」のパクリやってたって聞いたけど、
ほんとに「まんま」だったらしい。
私にそれを教えてくれた人は、その歌手けっこう注目してたんだけど、
それで醒めたっていってた。悪いのは演出家かも知れないけど。
本人は知らなかった可能性もある。若い人だから。

でもとにかく。もっと考えましょう。といいたいな。
プロはパクっちゃいけいない。
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# by e-t-pf | 2007-07-09 00:00 | 好きな音楽 | Trackback | Comments(0)  

合わせる

リズムに合わせる、という行動は、
自分のリズムを自分でコントロールできることと、
まわりのリズムを感じる余裕がある必要がある。

というと、難しいようだけれど、
実は小さい子供でも、あっさりやれることなのだ。
ところが、意識せずにできたいたのに、
突然妙に難しくなってしまったりする。
緊張しすぎているか、気が散っているか。

音楽の演奏には、自分の行動パターンや、考え方のクセがあらわれる。
練習してできないことをできるようにするには、自分のクセを認識して調整する。
調整する、というのはつまり、練習する(できるようになるまでくり返す)こと。

クラシックのピアノ演奏を勉強する場合は、すでにある音楽に、自分を合わせて行く、
という形になる。

音楽の演奏には、もう一つの形がある。
自分の作り出したい、と思う音楽を表現する(オリジナルを作り出す)というもの。
(それこそが音楽、と思う人もいると思う。
 小さい子がなんだか言葉に節をつけて
 歌っているのは、まさにそれ。)

しかし、成長するにつれて、思うままに歌ったりはできなくなる。
自分の作り出すものに対して、欲や迷いや、いろいろ出てくる。

オリジナルなものでなくても、例えばショパンの曲を弾く時でも、
あくまでも自分のやりたいように弾きたい、ということもある。
それで満足なら、それでいい。

でも、その場合も不満がでてきたら。欲が出てきたら。 
やっぱり勉強する必要が出てくる。

音楽のために自分を見直すのか。
自分のために音楽を演奏するのか。

どちらか。

ということではない。
結局、行ったり来たりする。
ただ、自分が今やっていることはなんなのか、分かっていれば大丈夫だと思う。
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# by e-t-pf | 2007-06-27 23:48 | リズム | Trackback | Comments(0)  

ことばとリズムと踊りと命

西アフリカのドゴン族の創世神話では、命の元は言葉と言われている。
西アフリカの文化では、太鼓は「言葉をしゃべる」、と表現する。
「音楽を演奏する」のではなく、「言葉をしゃべる」
つまり、命そのものを発信している、ということになる。

そして、踊ることは、太鼓、そして言葉に呼応すること、
つまりこれも、命そのものということになる。

何かを伝え、受け取ることが、「命」
どうやってしゃべり、そうやって踊るかで
どんな命になっていくかが、決まる。

西アフリカの伝統リズムとダンスを学ぶとき、
「そのリズムになっている」「そのリズムを起こす」
というふうに言われることがある。
スヌならスヌを、「起こす」ことができるように、
叩き、踊る。

それは「正しく」リズムを演奏して、「正しく」踊ることができること、
という言い方をしたくなるが、ちょっと違う。
「正しく」と言うのは、
  タイミング、音色などが教わった通りになっていること
  動きが、教わった通りになっていること
と思いがちだが、実はそうではなかったりする。

・・・・言葉では、説明しきれない。

何のために、何を考えて、何を意識して、どんな感情で、
スヌを叩き、踊っているか。

スヌのために、スヌを考えて、スヌを意識して、スヌにふさわしい感情で
叩きたい。踊りたい。

オープンハート。
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# by e-t-pf | 2007-06-02 21:46 | ジェベバラ。アフリカの智慧 | Trackback | Comments(0)  

ランダム選曲

簡単なものと難しいものを行ったり来たりする。

簡単→難しい 初級→中級→上級
というように、一本のライン上で進むのではなく、
多角的にする。

特に大人のレッスンで、役に立つ。

<選び方>

できるだけ話し合って、納得してもらって決める。
エチュードは、
・演奏技術のためのもの
・音楽の理解のためのもの
と言う風に、テーマをはっきり決めて、選ぶ。

レパートリーは、生徒さんに選んでもらうか、
イメージを伝えてもらって、こちらで選ぶ。
練習方法を考えて、進め方を決める。

途中で中断することになっても、
あまりマイナス感情を引きずらないように、言葉がけを意識的に。
再開は、いつでもできる。

案外当たり前すぎて、でも以外とわかってないこと。
難しい曲ほど、練習時間が必要だということ。
後回しにしない。
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# by e-t-pf | 2007-05-20 22:42 | ピアノ練習覚え書き | Trackback | Comments(0)