カテゴリ:アレクサンダーテクニーク( 128 )

 

習慣、という素晴らしくもややこしい贈りもの

アレクサンダーテクニークでは,「習慣」について、いろいろ考え,取り組みます。
「習慣」は悪者にされることも多いです。
「習慣的にやってしまう」みたいな言い方をする。
ちょっとかわいそうですね。
「習慣」て、人間のすごい能力だと思います。
それがないと、こんなにいろいろできないんじゃないかなあ。

習慣て、どうやって作られるんでしょう。
自分では、ほぼ「いつのまにか」できてると思う。
意識的に「作った」習慣もあると思うけど。

問題になるのは、習慣をそのままにしておいたら、
トラブルになってしまうとき。

体が痛くなったり,思うように動けなかったり。
考えたくないのに、頭から離れない,とかもそうかな。
考え方の癖,みたいな言い方もしますね。

もう一度言いますが,習慣的にできる,ということは、すごいことです!
いつのまにか、できるようになってるんですよ。ほぼ勝手に!
ほんとに人間てよくできてるよね。

さてその習慣を「変えたい」場合。
「習慣」は、「自分の手に負えないもの」でしょうか?
そこのところ「習慣的に」どう考えているでしょう?
「変わらないから,習慣なんでしょ。」そう思ってました。私はね。
「いつも通りになってしまう。いつの間にか、どうしてもそうなる」
自分のコントロールは、及ばないと思っていました。

でも実は、常に「新しく」やっている、というのが、ほんとうの現実。
いつもいつも同じことをしてる、なんてことは、あり得ない。
でも、そうは思えない。
「いつも通り」だと思うのって、よほど大事なんでしょうね。
「こういう自分」を、それによって常に作り続ける必要があるわけですから。

でも、あんまり嬉しくない「いつも通り」は、変えたいんですよ。

さてそこで
「習慣は変えられない」という「習慣」的な考えををそのままにするか、
「習慣は変えられる」と考えることを新たな「習慣」にするか。

私としては
アレクサンダーテクニークで「習慣」についてあれこれ試す、
ということを、楽しい遊びのように、やっていきたいのです。

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by e-t-pf | 2015-06-12 22:57 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

変化その2

今年は、GW合宿のタイミングに合わせて、アメリカからサラ・バーカーさんが来日。
演技と動きの先生として、アメリカの大学で教えている方で
アレクサンダーテクニークの先生としてもキャリアが長く、
日本語に翻訳されている本も出ているし,自分でできるエクササイズDVDも出てます。

サラさんの授業、何をならったか書ききれないほどいろいろなんですが
自分の仕事に戻ってみて,また発見が1つ。

大人の生徒さん(シルバー世代の方)のレッスンで
自分の考えが変わっていたのに気づきました。

今まではどうしても「この世代の方にも、上達と成長を」と考えて
どうしたら、上達できるか、練習してもらえるか、にこだわっていましたが
昨日は、自分がそう考えているときは,生徒さんの表情が硬いことに気がつき
自分の考えを、今のピアノの音を味わうことに切り替えると、
その固さ,緊張感が消えるのがわかりました。

自分の声も変わっていました。
なんとなく、軽い明るいしゃべり方になりました。
今までは、言葉遣いは同じでも、なんとなく声に
「これで伝わってるかな,練習する気になってくれるかな」と心配している
(疑っている?)感じが出てたみたいです。

こちらの考えていることが生徒に伝わる、ということが、前よりもはっきりわかり
ではどうすればいいか、というアイディアがはっきりしたことで
別に「変えてみよう」とは思ってなかったんですが、
実際にレッスンの質が変わっていた。

やっぱりサラさんのクラス,すごいです。

実は「楽しくレッスン」というのは「享楽的」「その場限り」「進歩がない」
今まではそんなふうに思ってました。

成長できること,進歩することで、より満足できるから、楽しくなる。
と思っていた。
それは今でも思いますが,
どうやって成長、進歩できるか、というところが問題だった。
今までは自分がやっていた方法しかないと思ってて,
生徒さんにもそれを押し付けていた。
(成長,進歩と言ったときに、自分の尺度、物差しがあって、
それを生徒さんにも押し付けていた)

昨日は,レッスンが終わって生徒さんが帰るときに,
なんとなく次が楽しみな感じ,次へ続く感じがしました。

次へと続けて行くために「楽しさ」が役に立つ。
そしてその「楽しさ」がどこからくるのか。
音楽自体が,持っているんだから、音楽を信頼すればいいだけでした。

それに、続けていれば絶対後戻りはない、必ず進歩してるんですよね。
ただ、「進歩」というふうに評価できないだけかもしれない。

苦手だった、シルバー世代のレッスンに,光が見えた気がしました。
今後が楽しみ。
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by e-t-pf | 2015-05-15 11:39 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

戻ってみたら

GW終わりましたね。
お仕事に戻ってみて,どうだったでしょう。
私は,大きな変化がありました。

いつものように、生徒が来て,ピアノを弾いています。
2週間ぶりに見る生徒さんは,みんな背が伸びてました。
小学生って、すごいね。
ピアノは・・・そんなに弾いてなかったのかな、という感じ。
あんまり指が動いてません。

それを見ながら、音を聴きながら、あれ?
なんだか思い出したのは,合宿中にみんなで太鼓を叩いていたときのことでした。

初めて叩く人に、叩き方をざっと説明して,
簡単なリズムをやってもらって、アンサンブルして遊んでました。
その時,叩き方とかリズムの説明をしたわけですが
ピアノを聞きながら、そのことを思い出したのです。

合宿では,相手は大人で、ATのトレー二ーとか先生です。
音楽、ダンスの専門家だったり、セラピストやボディワークのトレーナーだったり、
学校の先生だったり,高いスキルと理解力をもった人たちです。
そういう人たちに、叩き方の説明をしていた。

そのときの自分の状態を思い出して、考えたのは、
今レッスンをしている相手は・・・
小学生で、ずっと小さい頃から見ている子なんだけど、
・・・今まで私はこの子のことを「生徒」だと思ってみてた
そして、習慣的に「ピアノのレッスン」をやっていた。

習慣的なピアノのレッスンも、悪いわけではないのです。
いろいろ役に立つことも含まれてはいます。
(そうじゃなかったら、仕事になってないでしょうね)

でも、ほんとうに「一緒に音楽をしたい」と思っていただろうか。
「ピアノを弾くために必要な知識、技術を身につけさせたい」
これは、まちがいなく考えていたと思います。

でも、それはなんのためか。

音楽を今、一緒にやりたいから。
そして、もっと音楽の可能性で遊べるように、なってほしいから。
音楽でいろいろ楽しい思いができて、音楽で自分の毎日を、豊かにして欲しいから。
そして、豊かな毎日をすごして、豊かな人になってほしいから。

この人は、今ここでいっしょにピアノで音楽をする相手なんだ。
合宿で、一緒に太鼓を叩いた人たちと同じなんだ。

合宿でみんなで太鼓を叩いたとき,
ほんとうに「初めて叩いた太鼓」でみんな楽しんでくれていました。
それは、ほんとうに豊かな時間だった。

帰ってきて、生徒が来てピアノを弾いた時、それが強烈に蘇ってきた。
よかった。

実はまだ,自分ではピアノを練習してません。
新しい曲はちょっと弾きましたが,
ずっと練習していた曲はまだ練習してません。

さてどうなるか。
弾いてみるのが楽しみ。
一人だと,どうかな。
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by e-t-pf | 2015-05-09 23:00 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

ただいま、って感じで

御殿場から戻りました〜
この合宿も、私はずいぶん回数を重ねていて
さすがに慣れてきました。
なので,気持ちも落ち着いていました。

毎回,ジンベをもっていくのが恒例になってますが
実は,この合宿は、自分と太鼓について、見つめ直す機会になってます。

去年は,合宿の中でクラスを用意していただいて
克美先生といっしょに実験ができました。

今年は・・・空き時間に外で叩きました。
ケンケニとベルの練習を一人でやってみたりしてました。
するとなんとなく叩いてみたい人が来て,前で人が見ていて,踊る人もいて、
赤ちゃんが聞いていて。

特に赤ちゃんは、ちょうどいい遊びだったみたいで、
あとでお母さんから,「おもりをしていた母(赤ちゃんのおばあちゃん)が、
太鼓やってくれてると機嫌がいいから助かる、と言っていた」,と言われました。
嬉しかった。それなら、もっとやればよかったなあ。
まあ、クラスが多くて,休み時間短いから,しかたないね。

そして、ノータレントショーに出ました。
初めて叩く人たちと、初めて(じゃない人もいたけど)踊る人たちと
なので、リズムもダンスも即興です。
でも、卒業した生徒さんのお祝いでやろう、というテーマがあったので
(実は私が勝手に決めたんだけど)
ほとんどぶっつけでも、すごくまとまってました。

それで、わかったのは、自分の考えが
「アフリカンダンスをやる」から
「アフリカの太鼓とダンスで何かをやる」
に変わったんだ、ということでした。

今回は,卒業した人のお祝いをしたい、ということだったわけです。
その気持ちでみんないれば、そこで出てきた音と動きから,
周りの人に「お祝いの気持ち」が届くんだ。
自分でそのことががすごくはっきりと、わかりました。

それと、太鼓とダンスでお祝いすると,それが自分にも帰ってくる。
お祝い、という気持ちのエネルギーが、増幅するみたいです。

文章にすると当たり前だけど。自分ではやっと腑に落ちた感じ。

そんな感じで
いろいろな発見ができた日々でした。

お天気よくてよかった〜。

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by e-t-pf | 2015-05-07 11:39 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

言葉にするとシンプルなのに

3日続けて行ったのは、たぶんはじめてなのでは。
今までは週に1日か2日、それも2、3週間おきでしたから。
そう、今年からは少しペースをあげて通います、目黒。
その最初の3日が終わりました。
新しく入った人,久しぶりの人,ずっと一緒の人、いろいろたくさんで
にぎやかでした。

さて、改めてアレクサンダーテクニークについて。
いろいろな話題がでてきました。

で、今振り返ってみて思ったのは
言葉にすると以外とシンプル。
「自分を使うそのときの頭と脊椎の状態が,全体の状態を左右する。」
ということは
「頭と脊椎の関係性を改善できると、やりたいことをもっと楽に、上手にできる。」

そのためのノウハウを、学んでいる、ということなんですが。
それを、さあではやってみましょう、となったとき
さまざまなことがぐるぐるまわってしまう。
先生が手伝ってくれて、やってみると、確かに一人でやったときとは違うことが起こる。
うん、楽かな。さっきよりいいかな。

で、何がどうなってそうなったの?と考えると
わかったような?わからないような?できてるような?でもなんか変なような?
楽なような?でもこれでいいのかしら?

理屈はシンプルだと思います、ほんとに。
でもそれを使う対象、つまり「自分」というものが
とんでもなく複雑な構造をしていて、とんでもない精度で動いていて,
とんでもなくややこしいことをしようとするでしょ。

しかも、それをかなりざっくりとしか、認識できない。
(自分の骨格構造すら,知識としてまったくテキトーでしょ。
それなのに、ほぼ不足なく生きて行けるんだから,すごいよね)

まあ、簡単にはいかないわけです。
簡単にできたらいいのに。
でも実際には,簡単にできちゃうことって、あきちゃうもんね。
自分を簡単に使えてしまったら,つまらないのかも。

とにかく、再確認しておきたいのは
人間て,ほんとにすごいよね。
可能性が、まだまだある。自分にも。
ということです。

だから、自分を使うのにこんなに苦労するわけだ。

自分の体という宝物、大切に上手に使いたい。
そして、喜びとともに暮したい。

いい始まりでした。
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by e-t-pf | 2015-04-09 23:11 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

おたんじょうび

昨日誕生日でした。
そう、エイプリルフールの生まれです。
学年では、最も若いんです。なんでなんでしょうね。4月1日まで、になってるのは。

さて、フェイスブックではお祝いのメッセージをたくさんいただきました。
ありがたいです〜〜
やっぱりおめでとう、って言ってもらえるのって嬉しいですね。

年を重ねるのは、これはもうなんだかんだ言っても仕方がないですが
経年劣化はしてます、確かに。
でも、動きやすいです。健康状態もいいです。

自慢しちゃうけど、人生で最高にいい状態です。
まあ、今までがよくなかったから、改善がはっきりわかる、とも言えますが。
もちろん、すべてがよくなってるわけではないですよ。
やっぱり、ダメになったなあ、というところもいろいろ。
視力は特にそうかな。

さて昨日から本を読み始めました。
ミヒャエル・エンデの「モモ」です。
お勉強でない読書をしよう、児童書がいいかな。と思って選びました。
まだ3分の1くらい、も行ってないかな。

ですが
お勉強,はしてないつもりですが、予想外にいろいろ考える読書になってます。

モモはお話を聞くのが上手、ただ聴いているだけなのに、
話している人は考えが整理され、気持ちが落ち着き,元気が出てきて・・・・

へ〜そうなんだ。
昔一度読んでるんだけど,忘れてた。

これって、アレクサンダーテクニークの先生が「自分の面倒を見てる」状態の
理想的なもの、みたいに見えない?

モモは余計なことをしてない、考えてない、
自分全部が協調した状態で、いる
ということかしら。

おしゃべりジジは、望みがどんどんふくらむ人。う〜ん誰かを思い出すなあ。
掃除夫のベ
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ッポは、抑制し,観察する人。こういう人ってなかなか、いないかなあ。いても、言葉が少ないから、わからないだけかなあ。

アレクサンダーテクニークがらみに見えてきた。
灰色の男たちは、エンドゲイニングの化身?

でもおもしろい。
ただのファンタジーでいいんだけど、また違った読み方ということで。
きっと、今の自分が一番気にしてることだから、そうなっていくんでしょうね。
いよいよ4月から,教える練習スタート、になる、はず、たぶん。

このブログでまた、アレクサンダーテクニーク的モモの読み解きを、
書くかもしれません。
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by e-t-pf | 2015-04-02 11:20 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

何が変わっていくのかな

アフリカンダンスの練習を録画してみました。
インストラクター向けのクラスでやってるのが
なんだかよくわからないので・・・自分どう踊ってるのかわからないのです。

以前もクラスの様子を録画したものとかで
自分の踊りは見たことあったんですが
5年くらい前かなあ。もっとかも。

久しぶりに見ましたが、やっぱりいろいろとわかりますね
(そしてついでに、へこみますね・・・ボッコボコ)

直したいところをいろいろ確認しました。
まあ全体的に,なんだけど。
とりあえず股関節から骨盤、あと背中。

そう思って以来,なんとなく股関節とか気にしながらいると、
今まで固まってたところが緩んだり
働いてなかった(らしい)ところに力が入ったりしております。

すると。
なんとなく、子供のときのことを考えることが多くなってきたのです。
不思議なんですが。
もしかしたら、このあたりの筋肉の習慣(動き方の習慣)が作られた時期?
と繋がるの?なんて思ったんです。
何の根拠もないけど。なんとなく。

アレクサンダーさんが「姿勢は信念」、みたいなことを言っていたそうな。
どういうことかというと
自分らしい「姿勢」っていうのがあるでしょ。
遠くから見ても,誰だかわかったりする。

その「形」を作っているのは,筋肉の働き方の習慣、とも言えるわけですよ。
「こういう風に動くようになったから,こういう形になった。」
というような。

股関節からおなか、背中のあたりって、
けっこう「姿勢の印象」を決めてるんじゃないかなあ。
人それぞれいろいろあるだろうけど。
大きいエリアだし。
「体幹」の部分でもあるもんね。

そこが変わり始める、ということは、
子どもの頃からの、自分でも気づいていないような習慣が、
変わるかもしれない。

なんて思って,なんだか楽しみなんです。

それにしても・・・しみじみアフリカンダンスの奥の深さよ。
そうそう、もう1つわかったのは、アフリカンダンスってバレエ以上に、
「引き上げ」が必要らしい、ということ。
大変です,私にとっては。
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by e-t-pf | 2015-02-08 22:50 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

読み直してます

アレクサンダーテクニークでは
「自分を使う」という言い方がでてきます。・・・なんか妙な感じ?。
でもこういう風にしか言えないのかね、今のところ。

で、その名もずばり「自分の使い方」Use of the selfという本があって、
アレクサンダーさんの3冊目の本なんだそうですが

それの初めの章を読み直してます。
この技術(自分を使うときに役に立つ技術)を発見するに至る、
その過程が書かれてあるのです

一度、通信教育で勉強してるんだけど
実はいま、その通信教育のお手伝いをしてて。
なので読み直してるのです。
3年ぶり?もっとかなあ。

いや〜、初めて読んだときは「何じゃこりゃ」だった内容が
おもしろいようにわかる♪
・・・・部分もある。すべてじゃないです、正直。
でも、理解は深まってるんだわ。と嬉しくなりました。

でも、今日読んだところで「えっこんなこと書いてあったっけ」
みたいなことがあって、あせった。

『自分が「こうやってる」と思っている、その通りには実際にはやってない。』
ざっくりいうとこういうことですか。
やってるつもり、できてるつもり。
でもうまくいかなかったり、できたようでなんだか違う結果になったり。

そういう誤差は「どうしようもないもの」だと、以前は私も思ってました。
思い通りにいかないもんなんだわ。とほほ。って感じで。

アレクサンダーさんは、そこで食い下がったわけですか。
『自分が「こうやろう」と思って、さてやろうとするその瞬間、何を自分はやってるんだ?』
で、鏡を使って観察しまくったわけですか。
よくあきなかったなあ。

でも、さらに読んでみると、観察を続けて、あれこれ実験し続けて、
かなりの期間だったそうですが、10年とか?
どんどん自体は改善していったそうです。

苦節10年、10年目に花開く、ではなくて
小さい発見が日々あり、小さい成功が日々あった、ということですね。

そして、それは死ぬまで続きましたとさ。
というのはマージさんのエピソードにもあるよね。

なんか納得。
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by e-t-pf | 2014-11-24 23:16 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

歓迎したくない感覚がくる

グレッグさんのクラスは、ますますおもしろかった。
というか、なんだかグレッグがおもしろかった。
ひょうきんな側面が、前面に出ていたような。

クラスで「ATのレッスン後、寂しいような、むなしいような感じになる」
ということを話してた人がいた。
英語でやりとりしてたので、詳しくはわからなかったけど。

私も、ジンベクラスやりはじめたとき、あったなあ、
今でも多少でてくるなあ。とぼんやり思った。

ところで最近は、感情的反応を、化学的に(ホルモンで)説明することが、
積極的にされるようになってきて、それで、治療がすすんできてるんだって。
(お薬とか作れる)

それがどうしたか?
感情って、「どうしようもない」もののようだけど、実はそうでもないのかも、
というふうに思える、ということ。

そうか〜化学的に反応してるんだ、自分の中で。
ジンベクラス終わった後に激しく襲ってきた、
しかも原因不明!の「むなしい気持ち」は、反応だったのか。

普通そういう感じになると、やる気が失せるじゃないですか。
元気なくなる。動きたくなくなる。

それがね、いやだったら対処できるかもしれない、ということなんですよ。

私の場合、ストレッチの時間を取る、という習慣が役に立ってる。
とにかくヨガマットをひろげちゃうんです。で、動き始める。
それで切り替わる。
(もちろん、動かないでじっとしてる方がいいときもあるんですよ。
 寝る、休むってことだけど。それは夜すればいいので)

「人間は心身統一体」
心が身体に影響するし、身体が心に影響する、という言い方がたぶん私たちにはわかりやすい。
ただ、言葉にすると、どっちかのことだけになっちゃうでしょ。
で、何どっちが悪いのか、探したくなる。

なんだけど、どっちからでも何かアプローチすると
結局自分の全体の状態が変化するわけですよ。

で、私の場合、動く生き物としては身体運動の質が良くない、
という自覚があったわけです。
偏ってる上に非常に少ない。
それをバランスとろうとするのが、「ストレッチ習慣」
で、今のところ、うまくいってると思うわけです。

なおかつ
その動き方、せっかくやってるストレッチを、できるだけ効果あげたい。
よくあるでしょ、「歩きすぎて膝壊した」とか。
そこで役に立つのがATなわけですよ。
「無駄を省く」「望む結果へと至る道順を考える」
これが得意だからね、ATは。
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by e-t-pf | 2014-09-29 11:37 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

練習してみる

アレクサンダーテクニークについて、説明する練習をしてみる。
あくまでも、今の自分の理解です。
同じことを違う言い方にしたりしてるので、くどいかも。
(なおかつ独り言、さらにノリツッコミ含む。
 ・・・実は、だんだん言いたいことがふくれあがって、
 そうだ、これも大事だしあれも大事,ってなって収集つかなくなるのを、
 これで抑制しています。なんちて。)

・・・・・
アレクサンダーテクニークでは、自分の動きを見直します
やりたいと思う動きについて、改めて、考えます
そして、身体の構造にあった動きを練習します
先生は,そのお手伝いをします。
見直し,考え,練習するのは、生徒さん自身です。
そして、だんだん自分でできるようになっていきます。

その結果,動きの質が変わります
無駄がなくなり、楽に動き,結果痛みが軽くなったりします
(やっぱりはじめはこう言うよね。効果が気になるもん)

ただし、どう変わったか,という結果の評価
「こんな感じ」(らく、とか痛くない、も)は
実はやってみないとわかりません
いつも期待どおり、とは限りません
(あらかじめ言っちゃったら,混乱させるよね。
 こういうことは、必要なときに言うんだね。
 私は先走って言うなあ。気をつけよう)

私の場合,それまで働いてなかった筋肉が働き始め,
以前より「努力がいる感じ」「力が入ってる感じ」がする、
ということがよくありました。
(未だにそう。)
もちろん、「あ、楽になった」ということもよくありました
(疲れにくい、っていうのはほんと。でも休みもちゃんととらないと死ぬ)

動きが変化する、ということは「慣れてない動きをする」ことになるとも言えるので
やってみると「変な感じ」になることもよくあります。
(やっぱりそういう時は動揺する。なにこれ?ってなるから)

それは、見直しと練習ができている(元に戻ってない)、ということでもあるので、
安心してください!
(そう、そこが大事。ここで安心できるかどうか)

あと、アレクサンダーのレッスンでは,動きの「もと」、
というか「動き始め」にフォーカスがいくことが多いので
大きな激しい動きを、繰り返すことはまずありません。
なので、身体に無理な動きになる心配はありません。
(やってない感じがする、拍子抜け感がある、なにこれ、ってなるのはこのせいだよね)

あと、レッスンでの決定権は生徒さんです。
無理して、先生に合わせる必要はないので安心してね。

(レッスンだったらこれぐらいでしょうか。さらにいってみましょう)

アレクサンダーさんが発見したことは
「人間は,自分のことを、もっと意識的にコントロールできる」ということです。

レッスンでは,動きを対象にするのがわかりやすいですが、
ほんとうは、レッスン対象は「自分」の全部です。

心、とか身体,とか、この動き、とか分けてるのは便宜上で,
ほんとうはすべてが繋がっている、ということが根底にあります。
先生になるには、時間をかけて、そのことを自分で体験し、理解し、納得する訓練をします。
(私はまだ、納得できてもすぐ忘れてしまいます・・・トホホ)

なにかが「おいてけぼり」にならないように。
常に「すべて」でいるように。先生はいつもそう思っています。
(そう思うように努力しています。常日頃訓練しています。しましょう。ハイ・・・)

だから、レッスンは不思議な安心感の中で進んでいきます。
「何がおこっても大丈夫、実験してみよう」
(でもやっぱり、どうなっちゃうか心配なんだよね。
 だから「こうなったらいいのに」って期待するし、
 「こうなるはず」って予測する)

でも先生だって人間だから、困ったり迷ったりします。
ちょっと生徒さんよりも、先に練習開始したよ、というだけですから。
(いいわけしてる。でもほんとだもん)

なので、疑問があったら安心して質問してみてください。
(なんて答えるんだ・・・ってびびったら自分の面倒)

・・・・・

以上。
なんか、独り言、ツッコミがどんどん。
コントじゃないんだけどなあ。
ああ、「オウム」の影響が・・・
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by e-t-pf | 2014-09-22 11:51 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)