カテゴリ:アレクサンダーテクニーク( 125 )

 

痛い!どうしよう。

もう、カテゴリをどこにしよう、って本文書く前にそこで一悩み。
なんとかしましょうね、カテゴリ。

痛いのは,左の腰〜お尻にかけての、奥の方です。
奥の方,というのは、皮膚の上から手でさわったり押したりしても,痛くないということです。
動いたときに、ピリ!と痛くなる。
日曜のダンスクラスが終わったときに,起こりました。
左足を床についたとき、ピリ!ときた。
あっなんか来た。
でも一瞬で,ていねいに足をついていれば、大丈夫。
すぐに帰る必要があったので、着替えて、楽器を片づけ,運転して帰りました。
時々痛みは感じましたが,動いていた方が楽でした。

運転中も痛くはなかった。
車から降りて,座っていた姿勢からからだを伸ばすとき,痛くなりました。
座る姿勢で伸ばされていたところが,縮んでいくときに、痛い。
なので上体を前に屈んだ姿勢から、様子を見ながらゆっくりからだを起こしていきました。
ゆっくりやれば、大丈夫か。
そして一度直立すると、後は歩いても痛くはない。
(あと、太鼓を抱えたときに痛くなりました。
でも、すぐに痛くない持ち方を見つけて,無事全部運べました)

その日の夜は,いつものストレッチをいつものようにはやらず、
できる動きを見つけながら、やりました。
(ストレッチそのものをやめることはしませんでした。動きたかったから)
いつもに比べて,呼吸が浅かったかな。背中が動きにくい感じでした。

一晩寝て,次の朝。
実は前にも同じような痛みがあり、その時は寝ながら寝返りを打つときにいちいち痛くて,
眠れなくて困ったのですが、今回は大丈夫でした。
目が覚めて,起きあがっても痛くなかった。
歩き回りながら歯を磨いたりしても、大丈夫でした。

朝ご飯を椅子に座って食べて,立ち上がるときに、痛くなりました。
やっぱり、座った姿勢で伸ばされるところが、縮んでいくときに痛くなるんだ。
座れないじゃん!今日レッスンなのに〜。

でも昨日痛みを感じてから24時間後,夕方にはだいぶ痛みは消えてました。
椅子から立つときに気をつければ,大丈夫でした。
昨日の夜は、いつも通りにストレッチできました。

そして今日。
今日はPC作業と、レコーダーで録音作業。
いわゆるデスクワークですが
座りたくない。
なので立ってやりました(家での作業ですから、そのへんは自由です。)

朝から、ほとんど座らず。
ヘッドフォンをつけたりはずしたり、レコーダーのボタンを押したり、
録音作業を3時間くらい続けました。
1時間に15分くらいずつ、PC作業。これは椅子でやりました。
今もこうしてキーボードを打ってますが,座ってます。
・・・・・高いところにPC置けば、立って出来るか。
でもいろいろコード繋がってるし,これはいいや。

でも座れないからといって、疲れてはいないなあ。
今は逆に,ここから立つときにちょっとまだこわいなあ。
座りたくない,できれば。
なんか、椅子に座るのが楽だって,ほんとうなのかな、って思います。

というわけで、腰の奥の方が痛くなった件についてでした。

さあ立てるぞ。






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by e-t-pf | 2016-08-30 12:43 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

何をするかがクリアになったおかげで

アレクサンダーテクニークの実習生レッスン,今日は10回のうち9回目でした。
早いなあ。
あと1回で終わりです。

毎回,自分に大きな変化が起こってます。
生徒さんにレッスンするんだけど。
アレクサンダーのレッスンは、まず自分のことが大事なので。
いつもよりも、自分のことをコーディネイトすることになり
その状態で人と向き合うことになります。
すると変化に敏感になるみたいです。

実習生レッスンはいつも朝,「朝活」みたいな感じです。
(おかげで早起きに慣れてきました)
すると、その日の午後のピアノのレッスンもすごくおもしろくなります。

こんなことがありました。
小学2年生の生徒さんが来て、いつものようにバイエルを弾きました。
それを聞きながら,あれ?何を言えばいいのかなあ・・・
ボケたわけではありません。

いままでやっていたことができなくなった。そんな感じでした。
今までやっていたこととは「ダメ出し」。
ダメ出しは違うよなあ、何を言ったらいいのかなあ、

そう考えていたら(まだ私は何も言ってません。言えません)
生徒さんの身体から力みが抜けたのが見えました。
そして、楽譜をじっと見ています。
あ、自分で楽譜を見直してる。
私は何も言っていないのに,生徒さんは自分で次の演奏のための準備を始めていました!

私がダメ出しをしようとしていると、生徒さんはそれを感じて緊張してしまう。
こっちが気になってしまうのです。
演奏の邪魔をしていたのは,私だったんだ。

評価は頭に浮かびます。
止まりながら弾いていたし,ミスもありました。
でもそのことを伝えればいいのか?
ちがってたよ、出来てないよ,と言えばいいのか?
そうではない。言葉がでませんでした。

その後レッスンは進み,生徒さんは椅子の上でぴょんぴょん動いてました。
いつも楽しそうな子だけど,ますます嬉しそうでした。

生徒さんが帰った後,
頭の中では,ミスがあったことをなんとかするべきでは、
という考えも右往左往していました。
でも生徒さんの様子は,明らかにいつもよりも積極的に楽譜に向き合っていたので,
よかったのは間違いない。
きっと、これからピアノの練習の仕方が変わってくる。

ダメだしをしないレッスンができた、嬉しい日になりました。
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by e-t-pf | 2016-03-15 00:32 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

今日は冬至。

冬至の今日。
3つのアセスメント終了後、第3段階のための説明を受け,面談終了、
ようやく、アレクサンダーテクニーク教師として、
教えることに扉を開く準備にすすむことになりました。

と言っても・・・
アセスメントで浮かび上がった課題は、まだまだ自分にとっては大きなもので
考えたい、向き合いたい、そのために時間をかけたい。
と思っています。

そして来年には,実習生レッスンをスタートさせますが
「アレクサンダーテクニークを教える」という言い方は,
実は自分にとっては少々違和感があります。
「教える」という言葉で、でてくる習慣的な考えがあるらしく・・・

今,どんなふうに考えるといいのか、いろいろ思案中です。
例えば
「やりにくいことを、やりやすく。やりたいことを、できるように。」
どうすればそれが実現できるのかを、アレクサンダーさんは考え実験し、方法を見つけました。

やりたいことをしたいのに。なぜできないのか。
自分のすることなのに、なぜ思った通りにいかないのか。
それは、自分という人間、人間という存在が、自分が思っている以上に複雑だから。
実は想像以上に複雑なことができてしまう、人間という存在。
それは、想像以上に可能性も秘めている、ということだと思うのです。
可能性は、あぶない冒険ではありません。
可能性を信じて試すことは、こわいことじゃないんだよ、ということを
レッスンを通じて体験してもらえたらいいなあ。
と思ってます。

今日は早く日が沈む日。
アフリカンダンスも、年内最後のクラスでした。

昨日の夕焼けがきれいで、写真撮ってみました。
ピアノのレッスンに来た生徒さんも、
終わって外に出たときに「きれい〜〜!!」と大喜び。
「ママ、携帯貸して〜」と言って、写真を撮っていました。
小1なんだけどね。スマホを操る手際の良さがすごい。

明日はピアノ教室のクリスマス会。
明後日、ボディチャンス年内最後のクラス。
さあもう少し。がんばろ〜。
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by e-t-pf | 2015-12-23 00:05 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

ちょっとだけ

アレクサンダーテクニークの学校も佳境に入り
一番荷の重かった課題をやっと提出。

アレクサンダーさんが、どうやって出なくなった声を取り戻し、
声が出なくなるというトラブルから解放され、
いろいろなことがやりやすくなるという応用がきき、
脳梗塞を起こしても、回復が可能だったのか。
(あの時代で、ってつくづくすごい。
 まだリハビリとかも、それほど進んでなかったなじゃないだろうか)

「自分の使い方」というタイトルで出ている本の最初の章に
その成り行きが書かれているのですが
その内容をまとめるのに苦労したわけです。

ほんとに苦労した。
ほんとに。(しつこい。)
だって難しいんだもん!

何が、というと
説明がややこしいんです。

アレクサンダーは、自分が何をしてるか観察して,
どうやらこれが声が出なくなる原因らしい、ということを見つけて
じゃあどうすりゃいいんじゃ、と実験を繰り返し
「しなくていいことをやめる」という
字に書くとあまりにもシンプルな結論に至ったわけですが

これがね〜、そう単純な話じゃない。
やめればいいんだ〜そうなんだ〜ちゃんちゃん、とは行かない。

それが「できてるかどうか」わからない。
自分で自分がしてることを評価するのに,自分の感覚が信用できない、
ということに気づいたから。

どういうことでしょう。
感覚は常に身体の中を行き来していますが
自分の意識に「感じ」として上がってくるのは、そのごく一部。
しかも、ほぼ「解釈された認識」で、実はねつ造も多いそうです。
(最近は脳科学などでかなり詳しく調べられているそうです。)

つまり、「こんな感じ」は、自分の状態の正確な情報ではない。
その事実に気づいたアレクサンダーさんは、途方に暮れました。
「自分がしていることを、どうやって評価すりゃいいんだ!」

そこから苦労してなんとか確認方法を編み出しますが、
その実験の過程が描かれている部分がまあ、読みにくい。

でもなんとかまとめた。
最後はもう息切れして「もう限界だ」と思って提出しちゃった。
だから、終わりにいくほど、文体が雑。ぶっきらぼう!

あ〜疲れた。
踊りたいよう。
でもほっとした。
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by e-t-pf | 2015-12-05 23:30 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

さて教える練習の顛末は

ATの第2段階では、クラス中に「教える練習」ということをしますので
6月くらいから,挑戦しておりました。
9月は息切れしてしまい、昨日から10月というタイミングで
無事?復活。

今まで自分が「教える」ときにしていた、
本当はしなくてもよかったことが、徐々に見えてきました。
これはなかなか、歓迎しにくい体験です。

自分のことについて(動きとか、考えとか)レッスンするのとは、また違うんですよ。
自分のことなら、まあそんなにね。

それが、教えることとなると、違和感も動揺も、まったく深さが違うというか。
自分一人のことではなくて、相手(生徒さん)に関わることだからなあ。
「余計なことしてたんだなあ」と分かったときは,ショックなんです、やっぱり。

(一応解説を試みますと
余計なこと,というのは実際にレッスンで生徒さんに対してやっていたこと、というよりも
教えるときの自分の状態についてです。
自分の状態がどうかで、その先の行動の質が大きく変わるわけなので,
生徒さんにも影響は当然あるわけですが、それは間接的に起こることです。
生徒さんに何を言ってたか,というより、どう言ってたか、みたいなこと。)

そして、その余計なことがない状態の体験も,ショックです。
これじゃあ、私なんにもしてない気がする。
今まで教えるときは、自分余計なことだらけだったの?!
まあそういうことだったんでしょうね。

ATの「教える」は、違うなあ、と思うわけです。
じゃあもう、何にもしないもんね!なんて開き直るのとも違うし。
間接的、ということがちょっとずつ、分かってきた感じ。

顛末,と書きましたが,練習はまだまだ続きます。

私としては,まだまだ実際に生徒さんとレッスンするよりも、
アレクサンダーさんの発見について理解をする方に興味があるんだな。
ということもはっきりしてきたので。

まあ、こうやって自分が徐々に変化していくことで、
当然自分がすること全体は変わっていくので。

すでに、ピアノのレッスンは大きく変化しています。
それでいいや。
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by e-t-pf | 2015-10-02 11:51 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

なんて言ったらいいかでおおもめ

アレクサンダーテクニークのクラスで
教える練習、懲りずに挑戦中

で、「教える」んじゃないんだ,私にとっては!
というところでまだ右往左往してますが
ちょっとずつ、その古い習慣を書き換えております

今日は、「自分の面倒を見る」っていうのが
具体的になんなのか、を言葉にしようとして
みんなで大もめ(すごくおもしろかった)。

ask
let
wish
とか、英語でもいろいろあるし
どう言ったらいいのかな〜って
あまりにもぐるぐるしてしまって、言葉で言うことの限界にまたげんなり。

そういえば昨日はシャシー先生が、パソコンのソフトが便利すぎて、
その機能に頼ってしまうことで、かえって制限を受けてしまう、
というお話をしてました

音楽と楽譜についても、同じ問題がよく言われますね
楽譜で音楽を現すことの限界
私は楽譜から、音楽を作ることに慣れてしまっていて
自分でも気づかないうちに
その制限を受けていると思います

でも、制限は外すことができる。
空っぽになって聴いてみると,ちゃんと入ってくる
ただ、それを認識するときに、どうしても自分の使いやすい方法を使うので
私の場合やっぱり、楽譜の知識は影響していると思います

アウトプットするとき(演奏する時)にはどうしても、
聴いたままの音にできないことが多いので(身体的、技術的な問題もあり)
音を聴きながら,修正する作業(いわゆる練習)が必要になるわけですが
そのときに,ピアノで身につけた演奏練習のやり方は、とても役に立ってくれています。

さて
「自分の面倒を見る」ときに、私は自分に何ていうか?
実は言葉では言っていません。
クラスでは、便宜上言葉でも言いますが
実は言語化の前のところが、自分にとっては大事。

言語化以前、という段階がある、というのは
失語状態という体験が、意外なところで役に立ってる

それが改めてわかった今日でした。
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by e-t-pf | 2015-07-03 00:07 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

教える、ということに慣れてしまっている

アレクサンダーテクニークの「教える」練習、というのに
ただいま挑戦ちうですが

毎回、「いつものように教える」ように、自分が動いてしまうのが課題。
アレクサンダーテクニークは
セラピーではありません
治療ではありません
マッサージではありません
エクササイズではありません

レッスン,という言い方をしています。
なので「先生」ということになるのですが

実際にすることは、生徒さんのやりたいことをお手伝いすることです。
何を教えるのでしょう?
「自分でほんとうに、実行する」ことを教える、ということ、かな。
ということは、私は自分でほんとうに、生徒さんの隣にいて,
生徒さんのやりたいことを受け止めて,お手伝いすることを考える必要があるわけですが

それは、まず「ほんとうに自分でいる」必要があって
それは「先生としている」のとは、ちょっと違うようなのです。

でも、ずっとピアノの先生だったので
あ、ちがいます、今でもそうなので
そうしているつもりはないんだけど、いつものように「教えよう」としたくなる?

う〜〜〜〜この習慣は手強いです。

相手を「生徒」として見ている,という習慣もあるでしょうね。
だいぶ薄れてきてはいる、と思うけど・・・

今年の合宿で,「演技する」という体験を、ちょっとだけしました。
お面をかぶる、ということから始まったのですが
何かの役割を「演じる」というのは
実は日常で,誰でもやっていて、それはとても便利な,役に立つこと。

私は「先生」という仮面を使っていたわけです。
それは役に立ってるんだけど、
ほんとうは、それをいつでも「取り外せる」ようにしておきたい。

「先生」でいる自分じゃないときも当然あるはずだけど、
もしかしたら、そんなつもりではないときも、「先生」としているかも。

教える練習をしようとするとき、まず自分。
先生のサポートで、余計なものが取れた時、
今はまだ,何をしていいかわからなくなり、心細くなってしまいます。
でも、それが大事,と今日も先生に言ってもらいました。

そして家に帰って、ピアノのレッスンをするとき・・・
改めて「ピアノの先生」にもう一度なってみた。
なんだか、今までとはちがうような。
何かクリアになった気がします。
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by e-t-pf | 2015-06-24 22:49 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

習慣、という素晴らしくもややこしい贈りもの

アレクサンダーテクニークでは,「習慣」について、いろいろ考え,取り組みます。
「習慣」は悪者にされることも多いです。
「習慣的にやってしまう」みたいな言い方をする。
ちょっとかわいそうですね。
「習慣」て、人間のすごい能力だと思います。
それがないと、こんなにいろいろできないんじゃないかなあ。

習慣て、どうやって作られるんでしょう。
自分では、ほぼ「いつのまにか」できてると思う。
意識的に「作った」習慣もあると思うけど。

問題になるのは、習慣をそのままにしておいたら、
トラブルになってしまうとき。

体が痛くなったり,思うように動けなかったり。
考えたくないのに、頭から離れない,とかもそうかな。
考え方の癖,みたいな言い方もしますね。

もう一度言いますが,習慣的にできる,ということは、すごいことです!
いつのまにか、できるようになってるんですよ。ほぼ勝手に!
ほんとに人間てよくできてるよね。

さてその習慣を「変えたい」場合。
「習慣」は、「自分の手に負えないもの」でしょうか?
そこのところ「習慣的に」どう考えているでしょう?
「変わらないから,習慣なんでしょ。」そう思ってました。私はね。
「いつも通りになってしまう。いつの間にか、どうしてもそうなる」
自分のコントロールは、及ばないと思っていました。

でも実は、常に「新しく」やっている、というのが、ほんとうの現実。
いつもいつも同じことをしてる、なんてことは、あり得ない。
でも、そうは思えない。
「いつも通り」だと思うのって、よほど大事なんでしょうね。
「こういう自分」を、それによって常に作り続ける必要があるわけですから。

でも、あんまり嬉しくない「いつも通り」は、変えたいんですよ。

さてそこで
「習慣は変えられない」という「習慣」的な考えををそのままにするか、
「習慣は変えられる」と考えることを新たな「習慣」にするか。

私としては
アレクサンダーテクニークで「習慣」についてあれこれ試す、
ということを、楽しい遊びのように、やっていきたいのです。

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by e-t-pf | 2015-06-12 22:57 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

変化その2

今年は、GW合宿のタイミングに合わせて、アメリカからサラ・バーカーさんが来日。
演技と動きの先生として、アメリカの大学で教えている方で
アレクサンダーテクニークの先生としてもキャリアが長く、
日本語に翻訳されている本も出ているし,自分でできるエクササイズDVDも出てます。

サラさんの授業、何をならったか書ききれないほどいろいろなんですが
自分の仕事に戻ってみて,また発見が1つ。

大人の生徒さん(シルバー世代の方)のレッスンで
自分の考えが変わっていたのに気づきました。

今まではどうしても「この世代の方にも、上達と成長を」と考えて
どうしたら、上達できるか、練習してもらえるか、にこだわっていましたが
昨日は、自分がそう考えているときは,生徒さんの表情が硬いことに気がつき
自分の考えを、今のピアノの音を味わうことに切り替えると、
その固さ,緊張感が消えるのがわかりました。

自分の声も変わっていました。
なんとなく、軽い明るいしゃべり方になりました。
今までは、言葉遣いは同じでも、なんとなく声に
「これで伝わってるかな,練習する気になってくれるかな」と心配している
(疑っている?)感じが出てたみたいです。

こちらの考えていることが生徒に伝わる、ということが、前よりもはっきりわかり
ではどうすればいいか、というアイディアがはっきりしたことで
別に「変えてみよう」とは思ってなかったんですが、
実際にレッスンの質が変わっていた。

やっぱりサラさんのクラス,すごいです。

実は「楽しくレッスン」というのは「享楽的」「その場限り」「進歩がない」
今まではそんなふうに思ってました。

成長できること,進歩することで、より満足できるから、楽しくなる。
と思っていた。
それは今でも思いますが,
どうやって成長、進歩できるか、というところが問題だった。
今までは自分がやっていた方法しかないと思ってて,
生徒さんにもそれを押し付けていた。
(成長,進歩と言ったときに、自分の尺度、物差しがあって、
それを生徒さんにも押し付けていた)

昨日は,レッスンが終わって生徒さんが帰るときに,
なんとなく次が楽しみな感じ,次へ続く感じがしました。

次へと続けて行くために「楽しさ」が役に立つ。
そしてその「楽しさ」がどこからくるのか。
音楽自体が,持っているんだから、音楽を信頼すればいいだけでした。

それに、続けていれば絶対後戻りはない、必ず進歩してるんですよね。
ただ、「進歩」というふうに評価できないだけかもしれない。

苦手だった、シルバー世代のレッスンに,光が見えた気がしました。
今後が楽しみ。
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by e-t-pf | 2015-05-15 11:39 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

戻ってみたら

GW終わりましたね。
お仕事に戻ってみて,どうだったでしょう。
私は,大きな変化がありました。

いつものように、生徒が来て,ピアノを弾いています。
2週間ぶりに見る生徒さんは,みんな背が伸びてました。
小学生って、すごいね。
ピアノは・・・そんなに弾いてなかったのかな、という感じ。
あんまり指が動いてません。

それを見ながら、音を聴きながら、あれ?
なんだか思い出したのは,合宿中にみんなで太鼓を叩いていたときのことでした。

初めて叩く人に、叩き方をざっと説明して,
簡単なリズムをやってもらって、アンサンブルして遊んでました。
その時,叩き方とかリズムの説明をしたわけですが
ピアノを聞きながら、そのことを思い出したのです。

合宿では,相手は大人で、ATのトレー二ーとか先生です。
音楽、ダンスの専門家だったり、セラピストやボディワークのトレーナーだったり、
学校の先生だったり,高いスキルと理解力をもった人たちです。
そういう人たちに、叩き方の説明をしていた。

そのときの自分の状態を思い出して、考えたのは、
今レッスンをしている相手は・・・
小学生で、ずっと小さい頃から見ている子なんだけど、
・・・今まで私はこの子のことを「生徒」だと思ってみてた
そして、習慣的に「ピアノのレッスン」をやっていた。

習慣的なピアノのレッスンも、悪いわけではないのです。
いろいろ役に立つことも含まれてはいます。
(そうじゃなかったら、仕事になってないでしょうね)

でも、ほんとうに「一緒に音楽をしたい」と思っていただろうか。
「ピアノを弾くために必要な知識、技術を身につけさせたい」
これは、まちがいなく考えていたと思います。

でも、それはなんのためか。

音楽を今、一緒にやりたいから。
そして、もっと音楽の可能性で遊べるように、なってほしいから。
音楽でいろいろ楽しい思いができて、音楽で自分の毎日を、豊かにして欲しいから。
そして、豊かな毎日をすごして、豊かな人になってほしいから。

この人は、今ここでいっしょにピアノで音楽をする相手なんだ。
合宿で、一緒に太鼓を叩いた人たちと同じなんだ。

合宿でみんなで太鼓を叩いたとき,
ほんとうに「初めて叩いた太鼓」でみんな楽しんでくれていました。
それは、ほんとうに豊かな時間だった。

帰ってきて、生徒が来てピアノを弾いた時、それが強烈に蘇ってきた。
よかった。

実はまだ,自分ではピアノを練習してません。
新しい曲はちょっと弾きましたが,
ずっと練習していた曲はまだ練習してません。

さてどうなるか。
弾いてみるのが楽しみ。
一人だと,どうかな。
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by e-t-pf | 2015-05-09 23:00 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)