カテゴリ:ジェベバラ。アフリカの智慧( 98 )

 

ようやく!

年末年始に行った、タンバクンダ(セネガル)の写真の整理を始めました。
借りたカメラだから、撮影したはいいが、さて!どうしたらいいかわからない。
デジカメ触るのほぼ始めただから!

自分のPCではソフトをインストールできず。
楽譜作成に使っているウィンドウズの方で、やっと・・・バックアップできました。
これで、とった写真は残しておけた・・・

今度は、プリントする写真を選びます。
データでやりとりした方が早いんだろうね、きっと。
でもしない。

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・・・真っ暗だ。



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by e-t-pf | 2017-04-08 19:27 | ジェベバラ。アフリカの智慧 | Trackback | Comments(0)  

新月に実験しました

昨日はジンベクラスでした。
JA(農協ではありません)クラス終了後、初練習。
JAクラスに参加した人は,たくさんの濃い体験、宿題の数々で、
まだ消化しきれない「満腹感」が顔にでてました!
はやく消化させたいよう、って感じでした。

私もです。録音を少しずつ整理しながら、う〜んすごい情報量だ
...視線が宙を泳ぐ。
これをどうやって使っていこう。

録音を聴いていて気になったのは,スピードでした。
みんなで叩き始めるとすぐに、スピードが上がっていき、音が大きくなっていきます。
どのクラスでもそうでした。

慣れないうちは焦ってしまうから速くなる?
なら慣れてくると、落ち着いてくる。かと思いきや。
やっぱり速くなっていく。
慣れてきたら、快調に飛ばすのかな?

どんどん速くなり,音が大きくなり,ああバラバラになってきた。
そうなってくると、先生がゆっくりに、少し音量を落として,と導きます。
ああ、落ち着いてきた。
そしてだんだんと、また速く大きくなり・・・
ゆっくりにして・・・
という具合に練習が進んでいってました。

録音聞きながら思ったのは、
音をどう聞いているのかについて、何かやりたい。
で、昨日のクラスでは1つ実験をしました。

「分離唱」という合唱練習法のアイディアを使ってみようと思ったのです。
分離唱では,自分の音と周りの音が「とけ合うように」歌います。
自分の声が響いているか,とか、ピッチがあっているか、とか気にしなくていい。
楽譜を使わず,大きく響かせるための発声練習もしない、独特の練習方法です。
この歌い方で空間に響く音が、なんともふんわりと気持ちいいのです。

で、提案したのは、「周りの音と溶け合うように、叩いてみる」でした。
小さい音で,ゆっくりしたペースで始めてみました。
はじめは,みんな同じ叩き方ではじめてもらいました。
しばらく続いたところで,「好きなように叩いても可、やめても可」と言いました。
流れは続きながら,一人一人、ちょっとずつ叩くことを変えてみたり戻ったり。
そしてしばらく続けて,終わり。

感想をききましたが、みんな無言。
しばらくして
「自由に,って言われた時,誰かがソロをはじめるかと思った」
「セッションだな、と思った」
という感想が出ました。

私が感じたのは「様子を探っている」という感じでした。
みんなで叩き続けられていた,ということは、流れ(ペース)を共有できていた。と思います。
でもそこにちょっとした「不安」があるような。

「周りを聞く」イコール「さぐる」?
「自由に叩く」イコール「ソロ」(目立つこと)をする?
そのどっちでもなく叩く?
う〜ん言葉にすると何か変だ。

私の中にも不安がありました。
「これやってどうなるだろう、うまくいくだろうか、何かよくなるだろうか」
これはしかたないですね。初めてのことにチャレンジですからね。

というわけで新月の実験,
「分離唱みたいに太鼓叩いてみる」レポートでした。

次にやるときは、きっと自分の不安が減っているでしょう。
そのうち、楽しくできるようになるでしょう。

そう思えるまで続けてみたい。

いつもより大きく見える火星を眺めつつ、思ったのでした。
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by e-t-pf | 2016-06-06 12:20 | ジェベバラ。アフリカの智慧 | Trackback | Comments(2)  

夏休みの宿題ためるやつ

そう、それは私です。ほんと治らないなあ。

もうすぐ2年ぶりのJA(農協?)ジンベクラスがあるので、
2年前の録音を聴き直してました。

新しい機械が使いこなせなかったことも,
聞き直しをさぼった理由なんです。
ようやく、慣れてきた。
そして、録音をどう整理していけばいいのか、やっとわかってきた。

さてぞっとしたのは
聞いてる途中で携帯が鳴り、一時停止して、
電話終わって一時停止解除したら,
もう違うリズムに聴こえてしまったこと。
あれ?ってなった。
で、数えるのをやめた。
すぐに戻ったからよかったけど。

オンだと思い込んで、カウントをとろうとしてしまう。

カウント
拍子記号
数字で表すのが当たり前になってるけど。
あくまで便宜上なんだよね。

ネウマは拍子なかったんだからなあ。

イタリア歌曲は,拍子記号あるけど、歌詞優先で。
平気で小節またいだりする。
カウントとって歌うと,かえっておかしくなるもんね。

バッハもそうか。

ドイツ古典派が、拍子記号に忠実すぎるんだろうか。
ピアノ弾きのやまいかもしれない。

というわけで、大急ぎで宿題やる。
明日は吉川で練習するんだ♪
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by e-t-pf | 2016-04-29 23:36 | ジェベバラ。アフリカの智慧 | Trackback | Comments(0)  

欠けていたピース

仙台に行ってきました。
先生がダンスクラスをするので、ドラマーとして同行。

そこで太鼓のクラスをさせていただきました。
何をしたらいいのかな、と考えてみて
私が最初に受けたジンベクラスの内容を、ということを思いつき
先生に相談するとGOサインが出ました。
ではその線で。ということでやってみました。

はじめに教わったことは、ジンベの3トーンと、その練習方法。
腕の振り、自分でリズムを声に出していう、つまりくちドラム。
それから「ファンガ」というリズムで、
ジンベでアンサンブルするための、基本的な構造を体験しました。

「ファンガ」はジンベを叩くバマナ族の伝統的なリズムではありません。
なぜトラディショナルではないのか。ちょっと考えてみました。

外国語を習うことに例えるなら,
まず挨拶の簡単なやりとりを覚えて、言ってみることで,
発音はつたなくても「話すことが出来た」体験をするような感じ?

自分の音と人の音がどんなふうに関わり合うのか、
それがどんなふうに「会話」になっていくのか。
太鼓の音でコミュニケーションが成立する体験ができる。
導入として、それをしておくことで、
太鼓を叩くときのマインド(心持ち)について、伝えておくことができる。
という意味があったのかな、と思いました。

トラディショナルのリズムは,全くの異文化、未知の外国語ですから、
はじめのうちは「意味も分からず」叩くことになります。
当然,コミュニケーションにはなりません。
伝わっているのかどうか,わからない、ということです。
相手が伝えたいことを受け取っているかどうかも,わからない。

外国語でやりとりがスムースにできるようになるには、どれくらいかかるでしょう。
発音できるようになり,聞き取れるようになるには。たくさん時間がかかります。

私は
「トラディショナルのリズムは、そういうコミュニケーションの性質がある。」
ということを、はじめに教わってあったので,
その後トラディショナルのリズムを習うときも、
アンサンブルがちゃんと「しゃべれる」ようになるまで、
時間をかけて練習するのは当然なんだ、と思えました。

外国語をオウム返しするだけで、意味はわかってない。
という状態から
少しずつ意味が身体に入ってきて,言いたいときに言えるようになる。
ところまでくるのは、やっぱり簡単ではありません。

そうやって少しずつ、
トラディショナルのリズムが叩けて踊れるようになると、
外国語が話せて世界が広がっていくように、新たな世界が開けていきます。
そうやって自分が少し広がった時,可能性を感じることができます。
それはすごく、嬉しいことです。

さてやっとタイトルです。
私はピアノを専門としてやっていますが、
ずっと何か「足りない」感じをかかえたまま、音楽をやっていました。
ピアノ好きだし,教えるのも楽しいけど、なんとなく何か足りない。
それが、ジンベクラスを受けたときに、欠けていたところに何かが入ってきて,
「はまった」感じがしました。
それは、この「可能性を感じられた」ということだったのかもしれません。
いつも、ジンベクラスのあとはピアノを弾きたくなります。
今でもそうです。

太鼓をやるか、ピアノを弾くか,とはならなかったのです。
太鼓を叩くと,ピアノを弾きたくなる。
なので、今でもピアノを教えつつ,太鼓を叩き,踊っているわけです。
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by e-t-pf | 2015-11-23 00:42 | ジェベバラ。アフリカの智慧 | Trackback | Comments(0)  

やっぱり練習って大事

今日はダンスクラスでした。
私は太鼓でした。あ、少し踊りも練習したんだった。
あまりやったことのないチャレンジなリズムでした。
(どころではない!実は「それですか!!」と言いたいくらい私には難しい)
なので今週は時間をとって、一人で確認と練習をしました。

実は,今年に入ってから,一人で練習する時間が減ってました。
ジンベクラス,ダンスクラスで叩くし
地元でダンスと太鼓をやる時間もできたりして
以外と,自分で一人で練習してなかった。

以前よりも叩き方とかよくなってきて、
練習時間が少なくなっても,クラスでたたけるようになった。
というのが、ちょっと油断になったかな。
なので、基本的なこともがっつりやりました。
(やっぱり筋力は落ちてしまうんだなあ。ということも痛感しましたよ。)

さてダンスクラスでは
踊る皆さんも,ほぼ全員?初めてだったんじゃないかな?
ステップも、タイミングも,間合いも、ノリも慣れてない、当然。
太鼓も不安定で必死でしたが,クラスの雰囲気はすごくよかった。

なんだか、すごくしっかりと対話できた感じでした。
 なんて言ったらいいかわからない、でもなんとか伝えたい、
 何を言おうとしてるのか、なんとかして受け止めたい
そんなリズムとダンスでスタジオがいっぱいになって、
アンサンブルは不安定ではありつつも、
叩いていた私はとっても気分がよかったです。
なんだか、満ち足りた感じ。
ちゃんと聴いてもらえてる。
いつもより、視界が広かったような,はっきり見えてたような。

リズム自体がこの空間を作ってくれたんだ、ということを、
なんだかしみじみ感じました。

さて練習について
練習の中身自体の変化もありました。
ノープランまぐれ当たり時間と力任せ練習が格段に減り
「痛くなければ太鼓の練習にならない」思い込みもなくなり
リズムをたくさん聴く練習になりました。
だって聴いてると気持ちいい。ずっといっしょに歌ってたい。
だから時間がたつのが早いんだね〜。あら終わっちゃった,って感じでした。

練習やってなくても、なんとかはできてたんですよ。
今までの引き出しで。叩けるの。
でも、そのリズムとして力を発揮できるように音にしたいじゃないですか。
せっかく叩くんだし。
今日のリズムは特に,パワフルなリズムでしたので。

次は何がでてくるかなあ。
次が楽しみ。

ちなみに
練習したら指の腫れてたのなくなりました。
なんだったんだ。
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by e-t-pf | 2015-10-11 23:31 | ジェベバラ。アフリカの智慧 | Trackback | Comments(0)  

治してもらった。

左手の指が少し腫れて、曲げると痛みがありました。
気がついてから,1ヶ月以上経ってると思う。
あれ?曲げると痛いなあ。でも曲げなければ,全然痛まない。
そのうち治るかな。と思っていたけど、なかなか治らない。
いろいろ人に相談したり、さすってみたり、なでてみたり、

いくつか気がついたのは,
左でものを持つとき癖があること、
左手でマウスを使うときに、力んでいたこと

じん帯なのかな〜、骨じゃなさそうだしな〜、とぐずぐず・・・
そんななので、太鼓の練習ができずにいました。
(ダンスクラス、ジンベクラスはやっていましたが)

今日は吉川で練習だったので
一応テーピングして、基本的な練習から、手をならして
明日のダンスクラスでやるリズムをやってみた。
やりながら、左手の指はぴりぴりしてました。
でも、痛い、というのとはちがう。
叩くときに、今までとは違う力の入り方なのに気がつきました。
かばっている,とかそういうのではないんだけど、
左手の力が、今までよりも入る感じ。

お、これはいいかもしれない。
そうするうちに、友人が練習に来たので
ストレッチをゆっくりやって、少し太鼓をやって
CDをかけて、少しダンスの練習。
すると、一緒にきたお子さんが、CDに会わせて太鼓を叩き始めた。
ほとんどオンビートだったけど
ちゃんと、CDの音と、踊っている私たちと一緒にいた音でした。
楽しくなってきて、予定していた時間より少し、長く踊りました。

そしてばたばたと片づけて、あわてて帰りましたが
車のハンドルを握ったら、あれ?まげても、痛くない。
まだ腫れてはいますが、なんか一山超えた?みたいな。

なんだ〜そういうことだったんですね〜
太鼓練習してないから、手がおかしかったんだ。
叩けば治ったんだ。だったらもっと早くやればよかった〜〜

というわけで
太鼓に治してもらいました。
すみません〜〜ちゃんと練習します〜〜〜

ざりがに
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by e-t-pf | 2015-09-26 23:11 | ジェベバラ。アフリカの智慧 | Trackback | Comments(0)  

ぼんやりとわかる外国語

私がやっている「ジンベ」は、セネガルのバンバラ族という人たちの太鼓です。
なのでジンベはバンバラ語をしゃべるのだそうです。
つまり私は太鼓でバンバラ語をしゃべる練習をしているわけですね。
昔昔から、太鼓のリズムに入れてバンバラの人たちが伝えようとした,
何か大事なことを、しゃべろうとしている、ということでしょうか。

昨日、ジンベの練習のときに
セネガル、タンバクンダで録音されたCDを聴いていて,
あるリズムについて、勘違いしていたことに気づきました。

聴きながら足踏みしていたら、
途中で何か違うことに気がつきました。
あれ?何か違う。

最後の方で、合図のフレーズ(ブレイク)が聴こえてきて,
自分の足踏みとずれていました。
私がオンだと思っていたタイミングがどうやら、違っていた。

ブレイクの部分を繰り返し聞いてみると,
ジンベのコンプリメントが違う聴こえ方になってきました。
すると、ソロのフレーズも、他の楽器の音も,違ってきました。
何か「聞き慣れた」感じに聴こえてきました。

今までは,「これは習ったことないリズムだから,こんなふうに不思議な感じなんだな」
なんて、勝手に考えていましたが。
別に不思議なリズムではありませんでした。
勝手に「意味分からないけどしかたない」そういうものだと思っていた。

このリズムの親戚にあたる?ようなリズムは今までに叩き踊ったことがありました。
あ、な〜んだこのことか。という感じ。
「言葉の意味がわかる」のとは違うけれど、
「知ってるリズム」だった。

発音が聞き取れない,と思っていた言葉が、突然耳に入ってきて意味が通じたような。
なんてとこまではいきませんが。
少なくとも,「たぶんこの話」くらいは近づいた気がしました。

足踏みしてみると、全身の感覚が変わりました。

ただ
それでいいのかどうかは、なんとも言えません。
まだ私の中では何か、思い込みがあるのかもしれない。
何しろ,バンバラ語話せない人ですからね〜。

でもこうやって練習していこうと思ってます。
ずれてるのがわかったら、直せるように。
そして、さっきと今では何が違うのか,はっきりできるように。

それにしても、CDなのにすごいです。臨場感というか。
ついつい一緒に踊ろうとしてしまう。でもついて行けないけど。
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by e-t-pf | 2015-08-31 00:01 | ジェベバラ。アフリカの智慧 | Trackback | Comments(0)  

インストラクタークラス、ドンバで締めくくり

インストラクター向けクラスが終了しました
(まだ1つ、大事なイベント残ってるけど)

はじめはわからないしできなかった動きが、
少しずつ、身体に入り始めていく過程がよく見えて、
(自分も変わっていって)
ほんとにおもしろかったです。

それにしても、動きをまねることって奥が深い。
まねしてるつもりでも、ちがう。
ちがっている、ということをどうとらえるか、
そして、どんなふうに真似る(動きを学習する)か、
みんなで試行錯誤しまくりました。

自分の身体が、いかに思っているのとはちがうことをやってるか。
そして、動きを変えるために、どうしたらいいのか。

先生はいろいろなアドバイスをしてくれました。
根気よく、根気よく教えてくれました。
一緒に受講したメンバーも,ほんとにいいメンバーで、
みんなと一緒にできてよかったなあ。

楽しかったんだけど,内容はシビアなクラスでした。
教わってもなかなかできない、そのできなさ加減が半端じゃなかった。
いかに,今まではやってるつもり、できたつもりでいたか。
そして、ほんとうにリズムとしゃべるように踊ると,何が起こるのか。
ほんとにほんとにアフリカンダンスの大事なことが、垣間見えたと思いました。

そしてやっぱり、できないことをできるようにする作業は楽ではない,
ということも再確認。
できないから、練習するわけですが
やっぱりそれって、楽しい作業ばかりじゃない。
とまどいと、不安がある。

それでもやってみるのはなぜか?
踊るのがおもしろいし、踊れたら気持ちいいし、もっと楽しく踊りたいから。
欲張りなのね私。
でも、おもしろくて気持ちよくて楽しい、ということが
どれだけ人間にとって大事なことか。

厳しい自然の中で、人間として幸せに生きるために役立つものとして生まれた
アフリカのリズムとダンス、
そういうものだったんだなあ、ということを実感できた気がします。

踊りながら叩きながら自分の状態をまたいろいろ観察できたし、
上達している(部分もある)のも実感できたし、
インストラクターの役割についても考えたし、
ほんとに実り多いクラスでした。

でも最後にドンバ、私も踊りたかったよう。
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by e-t-pf | 2015-03-15 22:56 | ジェベバラ。アフリカの智慧 | Trackback | Comments(0)  

足踏みでお腹がへこんだ

ここのところ、アフリカンダンスの投稿が多いですが、
いろいろとおもしろい体験が続いているのです。

シンプルなステップを,ていねいに昨日も練習。
床(大地)を踏む。
どうやって足が上がって行って,どうやって降りて行って、
床についてからどれくらい踏んでいるのか。
(昨日は腕も練習して,全身でステップの練習までいった)

やっているうちにだんだんと、
あ、ここらへんに力が入ってきた(筋肉が働いてきた)
とわかるようになってくる。
今までこんなふうには、力を使ってなかったよなあ、
ということは、働いてる筋肉のバランスが変わった?
ということは姿勢全体(立ってる形)も変わる?

確かに,姿勢が少し変わって見えます。なんとなく。
でも、すぐ戻る。やっぱり。
戻るけど,また変えるのもできる。
新しい方にしとこうとすると、ちょっとたいへん。

と、こんな具合でやってました。
昨日は太もも周りの筋肉から股関節へ、ぐぐっと力が入っていって
へ〜股関節周りって働くとこんな風になるのか〜、なんて思いつつ。

今まではあまり、動いたことなかったわけだ。
なにやってたんだろ。すごくよく動く構造になってるんだよね、本来。
固めてたのか。
でも、別に不具合もトラブルも特にない。と思ってた。
動きにくい?とも思わない。
でもストレッチしても「固い」。これは稼働域の問題か。
やわらかくなるかなあ。これで。

そしてクラスが終わり、あれ?
下腹が、なんだかすっきり引っ込んだ?引っ込んだ!
お腹が変わるか!

お腹って、なかなかすっきりしないんだよね。ぽこってなっちゃって。
腹筋で締めておく、なんてやっても、もたないもん。
そうだったのか。脚からか!

別に困ってはいなかったけど、
やっぱり股関節周り、もっと使えるといいことあるんだ♪
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by e-t-pf | 2015-02-24 00:23 | ジェベバラ。アフリカの智慧 | Trackback | Comments(0)  

これが智慧だった

アフリカンダンスのインストラクタークラスがたいへんです。
基本的な動きを、もう一度おさらい。

まあいろいろと課題だった動きを練習しましたが
今日改めてよくわかったのは
アフリカンダンス、バマナやマラハの伝統的なダンスは
踊ることで、ほんとうの自分を回復できるものなんだ、ということでした。

自分の本来の構造がどうなってて、
ほんとうはどこの筋肉を使うことができて、
どう動かすことができるのか。
そして。
構造通りに(癖とか不要な動きをせずに)踊ると
どうなるのか。何がおこるのか。
そんな体験ができるものなんだ、ということ。

「ほんとうはこんなに動ける、自分の身体」(自分の身体を祝福する)
という意味のステップがある、というのは知ってましたが
ほんとうに文字通り、そういう踊りだったんです。

残念ながら,今の自分の身体は、
持っている機能を十分に発揮できるように動いているかと言うと
そうはなってない。
あれこれ、不具合が生じています。

なので、ステップを練習してみると
できない、動けない。
できてるように見えても、やり方がちがう。
ということが頻繁におこるわけです。

おかげで、あらここが固いんだ,とか
筋力弱ってる、とか、よくわかるわけです。

たぶん、どんなダンスでもそういう発見はできますね。
バレエなんか,ほんとに初めはできないことだらけ。
できるようになる(バレエらしく踊れる)時が・・・来るのかどうかも怪しい。

アフリカンダンスのいいところはね,
誰でも,初めての時から「踊れる」ところなんです。
その人の今のままで、太鼓とおしゃべりできる。
コミュニケーションは、必ずできる。

初めてのときから踊れて,しかもずうっと、
今の自分とすごくハッピーに向き合い続けることができるんです。
できないことがあっても、
太鼓に向かって踊るときは,ちゃんと対話になる。

バレエは、自分の形のひどさに耐える必要があるんだけど、
アフリカンダンスはそういうことはない。

もちろん、形のことも考えていいんですよ。
なぜ形が変なのか,前向きに考えることで、
自分の身体の何かのバランスの悪さを,解消できるようになるかもしれない。

それをするかしないかは、自分で決めていい。

しかし、難しさも再認識しました。
ほんとにね「できてるかのように」見えちゃうんだよ。
でも、「どうやってるか」がなんだかあやふやなの。

というわけで
以上アフリカの智慧について考えたことでした。
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by e-t-pf | 2015-02-15 23:09 | ジェベバラ。アフリカの智慧 | Trackback | Comments(0)