教える、ということに慣れてしまっている

アレクサンダーテクニークの「教える」練習、というのに
ただいま挑戦ちうですが

毎回、「いつものように教える」ように、自分が動いてしまうのが課題。
アレクサンダーテクニークは
セラピーではありません
治療ではありません
マッサージではありません
エクササイズではありません

レッスン,という言い方をしています。
なので「先生」ということになるのですが

実際にすることは、生徒さんのやりたいことをお手伝いすることです。
何を教えるのでしょう?
「自分でほんとうに、実行する」ことを教える、ということ、かな。
ということは、私は自分でほんとうに、生徒さんの隣にいて,
生徒さんのやりたいことを受け止めて,お手伝いすることを考える必要があるわけですが

それは、まず「ほんとうに自分でいる」必要があって
それは「先生としている」のとは、ちょっと違うようなのです。

でも、ずっとピアノの先生だったので
あ、ちがいます、今でもそうなので
そうしているつもりはないんだけど、いつものように「教えよう」としたくなる?

う〜〜〜〜この習慣は手強いです。

相手を「生徒」として見ている,という習慣もあるでしょうね。
だいぶ薄れてきてはいる、と思うけど・・・

今年の合宿で,「演技する」という体験を、ちょっとだけしました。
お面をかぶる、ということから始まったのですが
何かの役割を「演じる」というのは
実は日常で,誰でもやっていて、それはとても便利な,役に立つこと。

私は「先生」という仮面を使っていたわけです。
それは役に立ってるんだけど、
ほんとうは、それをいつでも「取り外せる」ようにしておきたい。

「先生」でいる自分じゃないときも当然あるはずだけど、
もしかしたら、そんなつもりではないときも、「先生」としているかも。

教える練習をしようとするとき、まず自分。
先生のサポートで、余計なものが取れた時、
今はまだ,何をしていいかわからなくなり、心細くなってしまいます。
でも、それが大事,と今日も先生に言ってもらいました。

そして家に帰って、ピアノのレッスンをするとき・・・
改めて「ピアノの先生」にもう一度なってみた。
なんだか、今までとはちがうような。
何かクリアになった気がします。
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by e-t-pf | 2015-06-24 22:49 | アレクサンダーテクニーク | Trackback | Comments(0)  

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